「この歌詞、意味わかんないけど、なんか好き」 そんな感想を、最近よく耳にします。
かつて“伝えたいこと”が明確であることが重視された歌詞の世界。
今では「何を言っているか」より「どう響くか」の方が、
ずっと大事になってきています。
情報が溢れる時代において、“意味”は飽和しつつある。
だからこそ、心を動かすのは、“感覚”で伝わるもの。
言葉が、説明やメッセージを超えて、“空気”や“気配”を運ぶものになってきているのです。
今回は、そんな「感覚を伝える歌詞」の時代について、
未来の観測者・メロの視点から読み解いていきます。
目次
情報社会の中で“意味”は飽和し、鈍くなる
情報発信が当たり前になった現代では、
「伝わる言葉」より「目立つ言葉」が優先される傾向にあります。
広告・SNS・ニュース、あらゆる領域で言葉が“見出し化”され、
瞬間的な理解が求められるようになりました。
この構造は、音楽にも波及しています。
歌詞が持っていた“物語性”や“詩的含意”は、急速な消費の中で削られつつあります。
つまり、「意味」はもはや希少ではない。
“多すぎる意味”が氾濫することで、言葉は逆に“感じにくく”なっているのです。
歌詞は“意味”から“感触”へと構造を変えた
現在の音楽トレンドを観察すると、サビの短縮化や語数の減少が顕著です。
J-PopやK-Popでは、TikTokで使われることを前提とした“15秒フレーズ”が重視され、
英語圏でも、Lana Del ReyやBillie Eilishなどが抑制的で曖昧な語りを用いる傾向にあります。
これは、「共感」や「わかりやすさ」よりも、
“質感”“ムード”“耳ざわり”を優先する表現戦略です。
歌詞は、視覚的に読むのではなく、聴覚的に“浴びる”対象へとシフトしています。
その結果、言葉の役割は「意味を伝える」ことから、
「音として身体に残る」方向へと変容しています。
“共鳴”は、意図ではなく構造で起きる
近年のヒット曲には、“意味があるようで意味がない”構造が多く見られます。
たとえば、King Gnuのサビ構造や、
米津玄師の「Lemon」などに見られる断片的な比喩・文法の断裂。
それでも人の心を動かすのは、
構造的な「間」や「音響的な抑揚」が感覚に訴えるからです。
音楽的な“繰り返し”と“変化”のバランスによって、意図せぬ共鳴が起きる。
つまり、今の歌詞は“書かれた意味”以上に、
“構造としての感触”で届いているのです。
これは、情報社会における“脱意味化=再感覚化”の兆候とも言えるでしょう。
言葉は、情報を運ぶ時代を越えていく
「伝わる歌詞」は、もはや“言っていることがわかる”ものではありません。
意味よりムード、理屈より余韻。
人が歌詞に求めているのは、“理解”ではなく“体験”になりつつあります。
そしてこれは、単なる流行ではなく――情報社会の反作用でもあります。
あふれる説明と正解の海の中で、人は“わからないけど、感じた”という体験を希求しているのです。
これからの歌詞は、意味の器から抜け出して、
“感覚のデザイン”へと進化していくでしょう。
誰かの中で芽吹く“わたしだけの解釈”こそが、本当のメッセージになるのです。
情報の彼方で、まだ名前のない感情が、そっと待っている――。